長男が小学校,次男が幼稚園に上がった頃が,「オーチャン,オーチャン」と一番うるさくまとわりついてきた時代でした.
なぜか母親よりいつも小生についてきたがり,親しい友人や親戚までが「あんなヤクザな父のどこがいいんだろ」とヘラヘラ.
とにかく,休みの日は朝早くから「ビチューに行こ〜」,「テネス行こ〜」とうるさくつきまとい,小生がトイレに入っている間も外で見張ってるという状態でした.(ガキどもに知られないようにこっそり出て行くことがあったのでそれを警戒して,のこと)
この頃は"ホンマうっとおしいヤツラやナァ","おじゃま虫ホイホイってないんかぃナ,睡眠薬でも飲ませたろぅか"とまで思いましたが,これも小学校前半までで5,6年生ともなると「美州行くゾ〜」どころか「キャッチボールやろか」と誘っても相手にしてくれず,こちらのほうが寂しい思いをさせられるようになってしまいました.
今思い返すと,あのうるさガキ二匹の時代が一番楽しかったような気がします.
[若い衆へのアドビャァス]
子供が父を求めるのはホントに短期間です.
"お〜ちゃん"から"お父さん"==>"おっとぉ"==>"親父"となるともうダメで,「金さえくれればえぇんや,大事なのはダチとのつき合い」となる親離れの季節ということです.
まとわりつかれてうっとおしいと感じる時代はかように短いので,この時期は精一杯可愛がってやりましょう.---でないと私のように後悔の念を覚えることになります.
そして完全に親離れ,子離れしたその時こそ,
ヨットの世界へカムバック
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Fig.ドベ2だった,ごめんナ.(重いな〜)
あれだけつきまとった愚息二人ばかりか,以前は,♪ワタシの大事なダンナ様〜♪だった愚妻にまで見放されてしまいました.
しかし,敢然と,
『オレにはヨットがある,粗大ゴミとか濡れ落葉にはならん,オレを誰や思っとんじゃ!九州の男をナメンナヨ』
と,宣言して現役復帰,再デビューを図った中年オジンに対して・・・
居場所のなくなった家庭を一歩出てみると外の風もこれまた冷たいものでした.
'96年7月中部自治体職員ヨット競技大会でカムバックを果たし,同年11月横浜・八景島での全日本自治体職員大会にも遠征した水野・川浪組のオジンコンビは最初から最後までブービー賞ねらいのドッペ争い.
みじめ,平成枯れススキ♪世間の風の冷たさにこみ上げる涙〜♪
記:Aug.-1997