ヨット部入部
 ヨットなるものに初めて乗ったのは大学院の貧乏学生時代でした.(今も貧しいけど
 富士五湖の山中湖畔にある大学の山の家*へ行った時,ヨット部が2杯で練習というより遊んでいるのを見かけたので,ものは試しと「乗せてくれ?」と頼むと,意外とすんなり「いいですよ」.
 この時"タック"という言葉を憶え,乗せてもらったのが"スナイプ・クラス"という二人乗りヨットであることを知りました.(その時は+自分で三人乗り)
* この山の家の予約とり役にクジで当たってしまったので,寝坊したら切腹モノと大学近くの友人の下宿に泊まり,夜が明けてからは事務室建物の前のコンクリート・ベッドで朝寝〜
 山の家では大学職員と称してヨソの女子大生を連れて来た(ルール違反)グループがいて,ばれて便所掃除のペナルティ.(誰がたれこんだ?)

 その後勤め始めてから,幼少の頃からの友人が手に入れた中古のモーターボートで三河湾内を乗り回していましたが,ある時無謀にも西浦発の水中翼船に挑戦し,敗れたうえエンジンを壊してしまいました.それ以来そのボートは不調で現在は友人のウチの庭で野ざらしになっています.
 ---ごめん,おみゃぁの了解のうえとはいえ,オレがむきになりすぎた.
 それで,エンジンのないヨットなら大丈夫だろうと考え,本庁へ何度か電話してヨット部へ入れてもらいました.昭和54年の春でした
 ところが,そう大丈夫でもなく,クラブNo.1の壊し屋と呼ばれることとなって・・・
 現在はできのイィ後輩にその座を譲っております.

センターボード心中事件
 入部してヨットに乗ること2度目の時,帰港して着艇.師匠の堀江さんから「センター上げて」との指示.
 彼は"引き上げろ"と言ったらしいのですが,自分は"陸に上げろ"の意と解し,「ハイヨ」と持ち上げたままポンツーン(浮き桟橋)に渡ろうとして,自分の体重+センターボードの重量であっという間の股分かれ,ドボーン.
それでも水中でセンターボード持ったまま,しばらく抵抗していました.が,どうにもならず”アカン,このままじゃ死んでしまう”と離してしまいました.浮き上がってくると堀江さん:「ン,センターどうした?」.「沈んだぁ,ハァハァ」
 愚問ですヨ,師匠.アルミ製とはいえ1円玉じゃあるまいし10数キロある厚板が浮く訳ない.抱きかかえたまま泳げる人間もそぅいないと思いますヨ
 師匠は,「エッあれ十万円するゾ」.
 ハァ,けど,もういらんって捨てたわけじゃないんです.あんなもんとは心中したくないもんで,たとえ十万円が百万円でも・・・
 落ちたところは水深はそれほどないのですが,例によって学生食堂のミソ汁*みたいな水で全く見えず,潜って探すよりしかたありません.その後,堀江さんが三度目の潜水で探し当て,ロープをかけて引き上げました.
 よかったなぁ,センターといっしょに"私は貝になりたい"にならずにすんだし,十万円も戻ってきた.
* 薄くてまずいが安いのがとりえ.近頃は学生が贅沢になったのか薄くもまずくもありません.
 また,"海の軽井沢"を目指している蒲郡の水は以前よりきれいになってきて,寒い季節などかなり透き通っています.

ハーバー目前漂流事件
 誰かイキのいいのを手近な所からヨット部へ引きずり込もうと考え,大学に勤めて間もない厚君を誘い出した頃のこと,
 午後そろそろハーバーへ戻ろうかという時間になって,突然グースネックのピンがボキッと折れてしまいました.
 メンスルがブラブラの状態のままハーバー入り口までなんとか来ましたが,あと少しのところで入港できず漂流状態となって・・・
 風が少し出てきましたが,このへんにいれば,そのうち皆帰って来るからと,メンスルを降ろしアンカーを打ちました.しかし少しずつ流されて行く〜
 アンカーはバウから出すそうナ.またジブセールも降ろさないかんのやテ.(今考えるとアホみたいなミスですが,まぁこんなもんでしょう.初心者のやることは)
 西田さん,続いて堀江さんがハーバーへ入港していくとこが見えたので大声で呼びましたが,逆風のため届かず.どうせ聞こえないならと「コラ〜ニシダ〜」,「ホリエ〜コッチムケ〜」といささかヤケクソ気味.その間もどんどん流される〜
 初めての厚君は不安だろうと思って,「まぁ,何とかなるわナ」と鼻歌で平然を装うのですが,「センセ〜同じ曲ばっかりですねぇ」(選曲の余裕なんてないんだよネ)
 そのうち,サイロ近くの大型船の桟橋に流れ着き,チャンスとばかり支柱にしがみつきました.しかし,支柱は太く,1本目は波のためバウラインを回せず失敗.2本目の支柱に今度こそと必死の抱きつきしがみつき.手と腕はフジツボのため擦り傷だらけになりましたがもやいに成功.厚君が支柱をよじ登り救援を求めて走って行きました.
 岸から釣り人が「大丈夫か〜」と声を掛けてきたので,手を振って応えながらのかなり無理した作り笑い.さわやかな笑顔になんかなる訳ない.顔が引きつっていたかも・・・


 ディンギーには無風状態に備えてパドル(手漕ぎのかい)も積んでいます.
 "いざとなればこれで漕いで帰ればえぇガャ"と素人さんは考えるのですが,そう強くなくとも風に向かって進むことはほとんど無理です.
 また,泳いで帰るというのも論外です.艇を放棄することが問題ではなく,たとえ少々でも風や波がある場合はそれに抗する人間の泳力なんてしれてますから.

レース中の同士討ち事件
 六社対抗レースの時の事,スタートしてすぐタック.右から照夫君が「スターボー」とわめきながら迫って来ました.我が方クルーの厚君も「来ますョ」.
 が,「ウン,行ける,行くド」と直進.
 そして,「行け,行け,アッあかん」ゴーンともろに衝突.

 こちらはルール上進路を譲るべきの非権利艇・・・

 しかしナァ,同じチーム同士でなんでそんなに意地張らなあかんネン,いくらそっちが権利艇といったって半艇身ばかりこちらが先行しとるんやからちょっと舵切って譲ってくれたってえぇやないか.
 それとも何かぁ?「スターボー」に対して,「確かに当方はポートタックです.オタク様が権利艇であることは重々承知しております.が,そこを曲げて私どもを先へ通らしていただけないでしょうか.」と平伏して頼めとでも言うんか,レース中に.
 「今回は新顔に任せてみよう」と高見の見物を決め込んでいたクラブの大幹部や中幹部は「部の内でやるなんて,アホらし〜」とへらへら笑っていました.

 後処理は,衝突した我が方の県所有ハーバー艇はフェンダーの修理代請求3,500円也.(ナ〜ンヤそれくらいか,こちとらぁ,請求書なんて見慣れてるし始末書とか反省文だって書き慣れてるから何とも思わへんワイ
 [ 若い衆へアドビャァス
 このような反省のかけらも見られないような態度は絶対にまねしていけません.
 かなりのコトでも悪意・重過失のない限り,心優しきヨット部の先輩諸氏は笑って許してくれます.が,それにも限度ってもんがあります.

 相手の照夫・宏司組の艇はトヨタ自工(現,トヨタ自動車)からの借り物で,リザーブ1本で勘弁してもらいました.
 音やショックでビビったけど,その割には損害はそ〜でも.---いくら貧乏クラブでも数千円の弁償くらいどうってことないヤロ.良かった,良かった.
とは言っても,基本的に私メが悪いことは確かであります.
 部員の皆々様,ゴメンナサ〜イ,土下座〜


 記:Jul.-1983